菅原道真は、平安時代前期の漢学者で醍醐天皇の時、中傷により左遷され太宰府へ向かう途中、牛窓へ立ち寄った。
その時、港の背後の小山に上り遥かにかすむ讃岐の連峰を望み、かつて讃岐の守であった若き日を偲んで詠ったものと言われている。眼下に見下ろす牛窓港は景勝地であり、天神社は学問の神として額づく人が後を絶たない。