作者は、寛保二年(一七四二)上道郡清水生まれ。鹿忍で医業を開始、貧富貴賤を区別せず診察治療に専念した。
歌は、備中の歌人内藤中心に師事、国学者の業合大枝らと親交があった。この短歌は、治療の合間をぬって患者の平癒を願い御崎神社へ参った時の短歌と言われている。